PROFILE
プロフィール
静岡県立浜松西高等学校
住所
〒432-8038 静岡県浜松市中央区西伊場町3-1
website
校訓
「知・仁・勇(ち・じん・ゆう)」
知・・・高い知性(基礎学力・思考力・創造力)
仁・・・豊かな心(人間力・表現力・リーダーシップ)
勇・・・たくましい力(行動力・主体性・自律心)
知・・・高い知性(基礎学力・思考力・創造力)
仁・・・豊かな心(人間力・表現力・リーダーシップ)
勇・・・たくましい力(行動力・主体性・自律心)
部訓




野球部の歴史
- 1946年(昭和21)静岡県立浜松第二中学校 野球部 創部
- 1948年(昭和23)静岡県立浜松第二高等学校と改称
- 1968年(昭和43)静岡県大会(春) 優勝
- 1971年(昭和46)静岡県大会(夏) 準優勝
- 1972年(昭和47)西山寮(821.4㎡)完成
- 1978年(昭和53)新部室棟 完成
- 1980年(昭和55)静岡県大会(春) 優勝
- 1980年(昭和55)静岡県大会(夏) 準優勝
- 1981年(昭和56)静岡県大会(夏) 優勝 甲子園 初出場
- 1996年(平成08)野球部創部50周年 記念事業実施
- 2002年(平成14)中高一貫教育を開始
- 2021年(令和03)野球部創部75周年
- 現在、2046年の野球部創部100周年に向けて活動中!
主な戦績
甲子園出場 昭和56年夏(2回戦進出)
- 1回戦
浜西 1-0 佐賀学園(佐賀) - 2回戦
浜西 1-2 北陽(大阪)
県大会優勝
- 昭和56年夏(甲子園出場)
- 昭和55年春(東海大会出場)
- 昭和43年春(東海大会ベスト4)
県大会準優勝
- 昭和55年夏
- 昭和46年夏
県大会ベスト4
- 令和3年秋
- 平成23年春
- 平成6年秋
- 昭和56年春
- 昭和46年春
- 昭和45年秋
- 昭和42年秋
- 昭和42年夏
- 昭和38年春
- 昭和33年秋
- 昭和33年春
- 昭和29年春
県大会ベスト8
- 令和元年秋
- 令和元年春
- 平成9年夏
- 昭和62年春
- 昭和60年秋
- 昭和55年秋
- 昭和47年夏
- 昭和45年夏
- 昭和44年夏
- 昭和41年夏
- 昭和33年夏
- 昭和29年夏
- 昭和28年夏
- 昭和23年夏
シード校選出
- 令和元年
- 平成23年
- 昭和62年
- 昭和56年
- 昭和55年
- 昭和48年
- 昭和46年
- 昭和45年
- 昭和44年
- 昭和43年
- 昭和42年
- 昭和41年
- 昭和38年
- 昭和34年
- 昭和33年
- 昭和31年
浜松北高校定期戦

歴代監督
- 初代坂井 正郎昭21~昭221946~1947
- 2代若本 辰男昭231948
- 3代中山 武昭24~昭251949~1950
- 4代遠藤 忠二郎昭261951
- 5代寺田 昇昭271952
- 6代尾崎 義久(中21回)昭28~昭291953~1954
- 7代河合 孝雄(高3回)昭301955
- 8代大石 博史(高2回)昭31~昭321956~1957
- 9代鶴田 悟(高3回)昭33~昭371958~1962
- 10代村越 啓祐(高6回)昭381963
- 11代田中 勝(高7回)昭39~昭411964~1966
- 12代鶴田 悟(高3回)昭42~昭481967~1973
- 13代堀口 憲昭(高21回)昭49~昭501974~1975
- 14代岡田 好司(高7回)昭511976
- 15代青葉 滋美(高12回)昭52~昭581977~1983
- 16代高見 穠吉(高12回)昭59~昭631984~1988
- 17代有川 謹司(高18回)平元~平121989~2000
- 18代清水 淳次(高34回)平13~平252001~2013
- 19代佐藤 光平26~2014~
1981 甲子園出場
第63回全国高校野球選手権大会アサヒグラフ
1981 9-4 特別増大号より抜粋
1981 9-4 特別増大号より抜粋


この試合唯一の得点をたたき出した
浜松西のトップバッター吉田の一撃
浜松西のトップバッター吉田の一撃

五回裏 浜松西二死一二塁
吉田の右中間二塁打で一塁走者
清水は一挙にホームを突くが
好返球に本塁寸前で憤死
捕手は古賀
吉田の右中間二塁打で一塁走者
清水は一挙にホームを突くが
好返球に本塁寸前で憤死
捕手は古賀
初出場同士の対戦ながら、浜松西の宮田投手は、静岡県大会6試合48回を無失点で切り抜けてきた好投手。この日も立ち上がりこそ2本のヒットを打たれたものの、次第に本来の調子を取り戻し、豊富な球種で内外角をつき、三振10を奪って佐賀学園を完封した。
「今日の出来は80点くらい。三振が多かったのは、相手が甘い球を見逃してくれたから。無失点記録のことは考えたくありません。今日も最初から、点をとられる覚悟でした。」と宮田君。
敗れはしたものの、佐賀学園の田中浩投手の健闘も忘れがたい。サイドスローからくり出す重い速球と内外角のカーブ、シュートは威力十分。浜松西の青葉監督をして、「ピッチャーの田中君に最後まで苦しめられた。」といわしめた。両チーム全力を出し切った好試合だったが、敗れた佐賀学園の田中投手と巨瀬監督の言葉が印象的だった。
「3点以内に抑えられればよいと思っていました。五回には二死後連打されてしまったが、別に気を抜いたわけではありません。思い切りやれて、すがすがしい気分です。」
「選手はみんなよくやった。試合は楽しくやろうといっていたが、その教えどおりのゲームだった。甲子園での試合は、負けても気分がいいですね。」
敗者はあくまでも、さわやかだった。
「今日の出来は80点くらい。三振が多かったのは、相手が甘い球を見逃してくれたから。無失点記録のことは考えたくありません。今日も最初から、点をとられる覚悟でした。」と宮田君。
敗れはしたものの、佐賀学園の田中浩投手の健闘も忘れがたい。サイドスローからくり出す重い速球と内外角のカーブ、シュートは威力十分。浜松西の青葉監督をして、「ピッチャーの田中君に最後まで苦しめられた。」といわしめた。両チーム全力を出し切った好試合だったが、敗れた佐賀学園の田中投手と巨瀬監督の言葉が印象的だった。
「3点以内に抑えられればよいと思っていました。五回には二死後連打されてしまったが、別に気を抜いたわけではありません。思い切りやれて、すがすがしい気分です。」
「選手はみんなよくやった。試合は楽しくやろうといっていたが、その教えどおりのゲームだった。甲子園での試合は、負けても気分がいいですね。」
敗者はあくまでも、さわやかだった。


5万7千人の観客で超満員のスタンド
外野席の通路もふさがり身動きもできないほどだった(試合は浜松西—北陽戦三回裏)
外野席の通路もふさがり身動きもできないほどだった(試合は浜松西—北陽戦三回裏)

一、二回は乱れたものの
三回からはリズミカルな投球で
好投した浜松西・宮田投手
三回からはリズミカルな投球で
好投した浜松西・宮田投手

一回裏二死 左中間に三塁打を放ち
先取点をあげた北陽・西山
右は浜松西・藤田三塁手
先取点をあげた北陽・西山
右は浜松西・藤田三塁手

スクールカラーの緑の帽子で応援する浜松西女生徒
黒の制服を着込んだ応援団員は「暑い暑い」とさかんに水を飲んでいた
黒の制服を着込んだ応援団員は「暑い暑い」とさかんに水を飲んでいた
「野球学校」ではない、ごく普通のチームが、一生懸命技術を学び、県大会を勝ち抜いてきた。甲子園でも初戦を飾り、そしていま、二回戦で力尽きて去っていく。初陣浜松西は、去年の国立(西東京代表)と同じようなさわやかな印象を残していった。
浜松西の投手宮田は、一、二回に乱れ、県大会以来続けてきた連続無失点記録を伸ばすことはできなかったが、三回からは得意のスライダーの切れもよく、リズミカルな投球で追加点を許さなかった。
それだけに一回、トップバッターにいきなり四球を与え、四番打者に三塁打されたことや、二回に二塁への牽制球を走者の肩にあててしまった立ち上がりの悪さが惜しまれる。試合はこの一、二回の2点で決まった。
北陽の作戦勝ちでもあった。
「宮田君は連続無失点という記録にとらわれ、いつかは点を取られるという不安も強いはずだ。その心理につけこみ攻めのバッティングに徹した。」(松岡監督)のである。浜松西の青葉監督も「北陽の打倒宮田の勢いに負けました。」と、あっさりかぶとをぬいだ。
短打に徹する「ピストル打線」も、北陽のリリーフ投手高木の好投に抑えられ、わずか二発。精いっぱいたたかって力負けしたのだから「一勝できただけで十分満足です。」(木下捕手)と球場を去る選手の顔は、いずれも明るかった。
浜松西の投手宮田は、一、二回に乱れ、県大会以来続けてきた連続無失点記録を伸ばすことはできなかったが、三回からは得意のスライダーの切れもよく、リズミカルな投球で追加点を許さなかった。
それだけに一回、トップバッターにいきなり四球を与え、四番打者に三塁打されたことや、二回に二塁への牽制球を走者の肩にあててしまった立ち上がりの悪さが惜しまれる。試合はこの一、二回の2点で決まった。
北陽の作戦勝ちでもあった。
「宮田君は連続無失点という記録にとらわれ、いつかは点を取られるという不安も強いはずだ。その心理につけこみ攻めのバッティングに徹した。」(松岡監督)のである。浜松西の青葉監督も「北陽の打倒宮田の勢いに負けました。」と、あっさりかぶとをぬいだ。
短打に徹する「ピストル打線」も、北陽のリリーフ投手高木の好投に抑えられ、わずか二発。精いっぱいたたかって力負けしたのだから「一勝できただけで十分満足です。」(木下捕手)と球場を去る選手の顔は、いずれも明るかった。
